酉の市の季節になりました

今年も酉の市の季節になりました。コロナで制限されていた境内の入場制限もなくなり活気を取り戻してきたみたいです。今年は4日、16日、28日です。三の酉の年は火事が多いと昔から言われていますが、平穏な年の瀬を迎えたいですね。

和室だけではなく洋室にも合います

 

座敷簾は和室だけでなくとも洋室にもとても合います。洋間の一角に畳のコーナーがあるように、洋風の中に溶け込む日本の伝統も趣がありますよ。

周りの雰囲気に合わせて掛けられても、とても素敵なポイントになります。

房をつけず棚の目隠しとして、お部屋の間仕切りにアイデア次第です。夏だけでなく1年中掛けられますよ。すだれのあるマンション、なんてお洒落じゃありませんか。

御簾みすの竹を編んでいる糸

 

御簾の竹生地を編んでいる糸の事を一言。
唐糸(木綿の糸)、細い絹を撚った絹糸の二種類があります。一見するとわからないですが。 絹糸編の方が時間の経過しても朱色の色とびが遅く、竹が日に焼け茶色になっても糸の色が残ります、今は染色技術が向上し、木綿でも数年前より退色は遅くなりましたが。

 

唐糸(木綿糸)

 

  絹糸編
経年し竹は焼けて茶色になっても絹糸は朱色が残ります

御簾 みすの縁布について

 

御簾には天地左右、そして御簾巾により数本の縦縁が入ります。

木瓜柄

洛レイ茶
菊桐金襴
人絹大和錦

平安時代頃から、木瓜柄の布が使用されました。これは柄を織り込むのでなく、麻等の布地に木版で刷り込むものでした。その他神社、寺院でかけられるようになり小葵柄の大和錦も付けられるようになりました。

正絹大和錦

寺院では、金襴も良くつけられています。豪華絢爛の感じが出ます。座敷簾の縁はまたちょっと違います。今度つぶやきます。

 

 

 

浅草通りの裏道散歩

今町が変わってきています。特に合羽橋通りから田原町の交差点までの裏道に新しいタイプのお店が出来てきてます。建物自体は、もう数十年前からあるスペースを利用し、素敵なショップやカフェが出来ています。テレビにも登場しています。若い方々が列をなしているのを見かけます、蔵前に向かう道にも見かけるようになりました。

ニューヨークタイプのピザ屋さん
本屋さん 今日は休みかな
グラスを扱う店かな
カフェ

稲荷町界隈の思うこと

稲荷町に生まれはや60ん年となりました、当初は浅草通りに都電の路面電車が走り、近所では長屋形式の家も数ありました。今は高層マンションが出来て,町の景観がだいぶ変わってきました、近所の方々との付き合いも希薄になってきたみたいです。魚屋、八百屋、豆腐屋さんなど町にあちらこちらにありましたが、今はコンビニ、スーパーに変わってきました。これはこの地域に限ったことではないかもしれませんが。すこしでも日本の文化や歴史を次世代に繋ぐことも大切かなと思う最近です。

 落語家さんと縁のある家屋です

 四軒長屋

浅草通り2

 

 

 

稲荷町駅からぶらぶら浅草方面に歩きます。ここいらは,仏具屋さんが多くあります。田原町までの通りに30軒を超える店があります。上野から浅草に向かって右側集中しています。北向きの店舗が多いす。これは日差しにより仏壇が日焼けしないようにと言われています。仏壇も以前のような豪華なものもありますが、現代生活空間に溶け込んだ家具調仏具も数多く見受けられます。また、ペット用の仏壇等を置かれるお店もあります。

仏具屋街

合羽橋道具屋街

私も柴犬と暮らして15年そろそろ眼も不自由になり、認知介護をする時期がきましたが家族の一員として最後まで暮らしたいですね。通りを合羽橋道具屋街を超すと左手に東本願寺が見えてきます。通りから裏に入ると多くの寺院があります。寺町として発展した一端が見えます。そうするともう田原町につきます。浅草通りは墨田区の方まで走っていますが、ひとまず国際通りまで歩きました、時間では10-15分位ですが、上野から浅草まで脇道を歩いたりとても下町の雰囲気あじわえますよ。

東本願寺   

青春時代の愛犬 おまけ

御簾(みす)縁 座敷すだれ縁を付ける

当店はすべて(座敷すだれを含めて)手縫いでとりつけています。機械では縁をつけてません、時間を少し頂きますが昔からの手法で一針一針、竹生地に縁をつけていきます。機械(ミシン)で付けられるのは座敷すだれですが、左右の縁地だけで御簾(みす)等の中に何本ある縁は手でないと付けられません。また機械(ミシン)で付けたものはしっかりつきますが、糸目がみえます。御簾(みす)は手縫いが本来のものです。一部のものは、接着剤で貼っているものもあるようです、 

縁付用針

浅草通り

浅草通りは、上野から浅草を通る都道です。東京メトロ銀座線が地下を走っています、当店のある稲荷町駅まで通り沿いにぶらっと散歩します。上野駅中央から浅草通りを歩くとすぐ左手に台東区役所が見えます。ここの場所は元々恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺と江戸庶民に広まった地口と呼ばれる言葉遊びにもでてくる、大きなお寺がありました。寛永年に下谷に移り加賀前田家をはじめ大寺院でしたが関東大震災後に練馬区桜台に移築されました。

台東区役所

通りを浅草方面に進むと、右手に赤い鳥居がみえます。ここは下谷神社です。730年の上野忍が岡に創建され1680年に広徳寺前通り(今の浅草通り)に移りました。下谷稲荷社などと呼ばれこの時の名が現在の稲荷町に由来しています。拝殿天井画は横山大観が描いています。また寄席の発祥の地でもあるようです。ご祭神は大年神、日本武尊命 摂社下谷稲荷社は宇迦之御魂神

下谷神社
寄席発祥の地記念碑

 

さて間もなく稲荷町の交差点です。この近辺には、多くの銭湯がありましたが、減り今では2件ほどになりました。しかし若い経営者の方々が思考をして近所の方ばかりでなく遠くからも見えているようです。

寿湯
日の出湯

   

浅草通りは以前は仏具屋街と言われました。今日の散歩は一応、ではまた

 

 

 

御簾その2

   

大名籠御簾(みす)

前にも書きましたが、御簾(みす)は神社仏閣の間仕切りだけでなく思わぬところでもしようされています、時代劇でご覧いただいたこともあるとおもいますが、お殿様、姫様が乗られる大名籠の正面、左右などにもしようされています。お寺の瞑想される座禅堂にも使用されています。これは、房などをつけずに縁地地味なもの、竹も黄色にそめないものを使用しています。大河ドラマにも度々使用されていますのでちょっと関心持ってみたら面白いかも。

 

座禅堂御簾(みす)